父と会ひ父と帰りし墓参

2013.10.06.Sun.05:00
父と会ひ父と帰りし墓参(季語:墓参)

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昨日、少し遅い父のお墓参りに行ってきました。
あいにくの雨でしたが、蚊の大群に襲われた以外はおごそかに終わりました。
私だけでしょうか、朝夕仏壇の前で祈りをささげ念仏を唱えていると
お墓参りが特別の行事に思われなくなります。
お骨が在る大事な場所とはいえ、家と墓地が比較的近いせいもあってか
いつもの出張としてお祈りに行くような感覚です。
(かといってお墓参りを軽んじるつもりは決してありません)
父の方も、本来はお墓にいると考えるべきなのですが、普段の仏壇から
私達と共にお墓に赴き、掃苔の後は一緒に帰って再び我が家の守り神を
してくれている、そんな気がしてなりません。
ちょっと頑固ながら本当に立派でやさしい人物だったので、極楽での役目も
こなしつつ、下界も心配でしょっちゅうチェックをしに降りてくるに違いない、
願いも少しくらいなら叶えてくれるだろうからいろいろ頼まないと
と信じ切っている、いわば「父力本願」の娘がここにいるのでありました。


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コメント
No title
おはようございます。
「父と会ひ父と帰りし墓参」
このように、常に身近に感じていただけて、お父様、さぞやお喜びでしょう。
このように実感できれば、現世との別れも寂しくないかも知れませんね。
さんな気持ちで、余生を過ごしたいです。
No title
 今日の句、とても好きです。意外とスーっと作られたのでは…。そうでなくて、もし推敲を重ねられたとしたら、その後を微塵も見せない出来ばえに脱帽です。

 三回忌のお墓参りでしたでしょうか。いい娘さんを持って、お父様も喜んでおられることでしょう。そんな娘さんと一緒に家に帰って来られたお父様。いいなー。とてもいい。

 ちなみに、「麦酒さん」に今年もご挨拶されたんでしょうか。
 
No title
 すみません、ちょっと言い足らなかったので、再度おじゃまします。

 長年アメリカに住んでいて、日本に帰るたびにいつもしみじみ思うことがあります。それは、日本人の生活は仏様と一緒である、ということです。ご先祖様と一緒、と言うこともできるでしょう。仏壇があり、毎日お線香をあげ、食べ物を供えたり、お花を供えたり。そして仏様に話しかける。アメリカに住んでいても、仏壇があればそういう日常になるのでしょうが、それでも、先祖代々の墓も、親の墓も日本だと、仏壇があっても、仏様はここにはいない、そんな感情を拭いきれません。

 再び今日の句ですが、本当にスーっと私の心に入ってきて、それで、ストンと心の底に落ちた、そんな感じなんです。何度も口ずさんでしまいました。
 それで思ったのですが、例えば、下五を「墓参」ではなく「墓参かな」と、詠嘆の切字である「かな」で止めると、もっと余韻が残るような気がしました。
鎌ちゃんさん
鎌ちゃんさんこんばんは!お返事が遅れてごめんなさい。
亡くなった後も父にいろいろ心配をかけて、やきもきさせてしまって
申し訳ないと思いつつ、いつもそばにいてくれることを感謝しています。
私は果たして極楽にいけるか、日頃の悪行の数々・・・なのですが
それも父にすがってしまおうかと思っている日々です。
ユー坊さん
ユー坊さんこんばんは!!お返事が遅れて申し訳ありません。
この句を気に入ってくださってほんとうにありがとうございます。
投稿する前は、「みなさんこの句を理解してくださるかな?」と
自信がなかったのですが、ツイッターの方でも好評を頂きました。
おっしゃる通りスーッと作る事ができた句なのですが、今考えてみると
ユー坊さんのご提案の通り「墓参かな」詠嘆にするほうが味わいがありますね。

三回忌のお墓参りは8月の父の命日にすませて、今回は遅れたお彼岸でした。
いつも父にすがって、心配をかけてばかりです。そばにいてもらえないと
何をしでかすかわからないぞ~!と脅迫しているような(笑)
麦酒さんには三回忌のときご挨拶しました~。

確かに、伝統的な日本人の生活は仏様・ご先祖様と一緒ですよね。
でも私がそれに気付いたのは遅すぎました。父の亡くなった後にようやく
「ああ、一緒にいてくださる」と思えるようになりました。朝夕仏壇の前で
祈りをささげるのも、小さい頃は続きませんでしたが今はごく自然に
生活の一部になっています。たとえ仏壇が無くても、心の持ちようなのかも
しれません。ただお仏壇やご位牌があった方が、より身近に
ご先祖様を感じられるのは事実ですよね。
アメリカはアメリカで憧れる事がたくさんたくさんありますが、
今はこの生活が一番だと思っています。


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